日本のNPO活動再考

―――都市型・郡部型NPO活動論――― 

2002年度岐阜県委託事業 「NPO活動支援基盤整備のための実態調査」、
「NPOと行政の協働および評価に関する実態調査」(ぎふNPOセンター受託)の結果を踏まえて

NPO地球の未来 理事長
ぎふNPOセンター 副理事長
                     駒宮博男

緒言

 特定非営利活動促進法が施行されてから数年が立ち、2002年10月現在のNPO法人数は8,000とも9,000とも言われている。
 しかしながら、その多くは都市部に集中し、郡部のNPO数はあまり多くはない。東京都には既に1,713の法人が存在し、1法人あたりの人口は7,040人である。これに対し、例えば岐阜県の場合、岐阜市あるいは県内13市の場合は、1法人あたりの人口が2万人台であるが、85町村の平均は9万人強と、本質的な違いを見せている。
 この数字で明らかなように、昨今にぎわしく議論されている『NPO論』は、所詮「都市型NPO論」であり、それが我が国の大きな部分を占める、いわゆる郡部に対しても通用するのか、疑義をはさまざるを得ないのである。
 このような視点から、特に全国津々浦々まで進行中の市町村合併に伴う郡部のパブリックサービス崩壊の危機を考えたとき、先ずは我が国郡部のNPO活動が如何なる様相を呈しているのかを述べてみたい。そして、この崩壊の危機に瀕している郡部パブリックサービスを如何にして再生することが出来るかも、合わせて提示したい。

 
    


    


1.概論としての郡部と都市部の違い

@精神的違い 

 郡部と都市部住民の精神的違いは、果たしてあるのか。そもそも、何をもって『郡部』、『都市部』と定義するのか困難を極める。日本における純粋な都市部は、もしかしたら、東京周辺と大阪周辺に限られるのかもしれない。偉大な田舎と言われる名古屋すら、既に純粋な都会とは言い難いという説さえある。 
 ここでは、まず一般論としての郡部の精神性の特徴として次のようのものを挙げ、簡単に吟味したいと思う。 
  ・強い官依存性 
  ・保守性 
  ・排他性 
 「強い官依存性」の原因は複雑である。歴史をたどれば、領主(搾取)と領民(被搾取)という関係性が生んだ、「お上に従う」という精神を発掘することが出来よう。
領主が役場に代わっただけで、上部組織に従うことが領民(住民)の生活・生命を保持する上で重要な要素であったという解釈である。 
 確かにこのような精神が残っていないわけではない。特に80歳以上の高齢者にはこのような精神が残っているかもしれない。しかしながら、この精神風土はあくまでも歴史から「発掘」するものであり、現在健著に見られる官依存性の源は異なる場所で、しかも歴史から発掘せずに探さねばならない。明治以来の我が国の精神風土は、その歴史的激動を考慮するとき、絶え間ない変化を余儀なくされてきたと見るべきであり、今日の精神風土の源泉を歴史に、しかも江戸時代以前の歴史に求めることは現実性を欠く。そのような試みが全て不毛とは言わないし、むしろ古きよき時代の精神性を発掘することに大いに価値を見出すことは確かだが、現状分析の手法として適確とは言いがたい。 
 さて、郡部の官依存性は何によるものであろうか。 
 もし、戦後の日本社会が、一般に言われるように「拝金主義」で固まっているとしたら、経済的側面が精神に及ぼす影響は無視できないだろう。私の友人に地方型シンクタンクの主幹理事がいるが、彼などは我が国の経済を概観し、多くの郡部を称して「国内ODA対象地域」と表現している。当然これは形容矛盾ではあるが、我が国の郡部の経済状況を明快に表現している。『地場産業は何ですか?』という問に、思わず『公共事業』と答えてしまう郡部市町村があまりに多すぎる。生活の糧が公共事業である者が多ければ多いほど、生活そのものが官に依存しているわけで、精神的に官依存性が強くなろうと決して不思議ではない。 
 ただし、都市部においても、いわゆる土建業以外の業種で公共と結びついている業種がない訳ではない。業界によっては強く公共に依存するものも少ないとは言えず、そのような者の官依存性は強いであろう。 
 つづいて「保守性」について考えてみよう。 
 この場合、保守と言っても本当の保守ではなく、単に自分の財産を守るという意識が強い位にお考え頂きたい。本来の保守とは、旧来の伝統や歴史、習慣、社会組織等の価値を充分認識し、それを固守しようとする考えである。これも、明治以来の歴史的激動や、生活の実際面での激変を考えたとき、本質的「保守」の、かけらすら探すのに苦労するのが実態であろう。特に70歳代以降の世代の人間、即ち、戦中派より後に生まれた人間、別の表現をすれば、戦後教育を受けた世代からは、保守、即ち旧来の伝統や歴史、習慣等の教育を受ける場がなく、本当の意味での保守的精神が育ったとは考えにくいのである。現在郡部には、意味を知らずして継承されている祭りが数多く存在する。中には150年以上の歴史をもつものもあるが、その祭りの意義を知る
者は殆どいない。村の古老や郷土史愛好家といった一握りの者たちが知るのみであり、しかも諸説分かれていたりするのが現実である。

例)恵那市三郷町野井の「重箱獅子」(家康が逃亡中、農民が祭りに使った重箱 を被り、祭りに紛れて難なきを得たという伝説に基づく獅子舞だが、家康が恵那市三郷町に来たという史実はないらしい。他の地域から伝来した獅子舞。)

例)同地区の「風三郎」(稲の出穂期に好天を願う祭り、数名の村人により辛う じて保存されている。) 従って、ここでの「保守」とは、単に自己の財産、特に「土地」に対する執着と解釈した方がよい。

 農地開放で小作が基本的にはなくなり、これが「保守」的な信条を醸成したとする考えがある(『1940年体制』野口悠紀夫)。人間というもの、わずかな財産を持つと急に保守的になるらしい。財産を持たないものや、巨大な財産を代々持っているものは、かえって保守にはならないものだ。僅かな財産だからこそ守ろうとする。これが典型的保守である。 
 ただし、小作から自作に転じた多くの農民以外にも、僅かな財産を固守しようとするものが多い。都会に僅かばかりの土地をようやく手に入れ、マイホームを建設した方々もこの種の人達であろう。従ってこれは郡部の特徴的精神性ではなく、僅かなる財産を持つ全ての人間に当てはまることは事実である。ただ、相対的に比較すれば、人的流動性の高い都市部と比べ、人的非流動を属性とする郡部において「保守」の傾向が強いことは確かなような気がする。 
 さて、次なる課題は「排他性」である。 
 俗にいう「村八分」とは、結婚式と葬式の『二分』だけは付き合うが、残りの八分は付き合わないという意味だそうだ。強いコミュニティーが形成されていた旧来の農村部において、村八分は厳しい処遇であったに違いない。しかしながら、郡部とは言え、今の若い世代は、ややもすると「いっそ村八分にしてくれた方がいい」と思っていたりする。最早、郡部においても古来のコミュニティーは崩壊しつつある。ではなぜ、コミュニティーは崩壊の危機に瀕しているのか、あるいは、古来の郡部コミュニティーとは、そもそもどのようなものであったのか、このあたりをしっかりと押さえておかないと、これからの議論は進められない。 
 本来、コミュニティーとは、利害の一致を基礎として成立してきたと私は考えている。旧来の農村部のコミュニティーは、いわゆる「結い」を中心としたものだが、ここには明快な「利害の一致」が存在した。機械化以前の農業、特に稲作は、田植、稲刈り等、特定の時期に多量な労働力を必要とする作業が多く、村人総出で行う必要があった。田植、稲刈り以外でも、例えば田に水を引く水路作り、道普請等々、集団の利益をもたらす作業は豊富にあったと考えられる。このように、一致する利害が存在すれば、コミュニティーは成立する。このことは今日にも言えることで、例えば、それまで隣の住人の顔すら知らなかった地域が、地域ぐるみでビオトープをつくり、生活雑排水の生態系での処理をやりだした瞬間から、コミュニティーが形成された例が、サンフランシスコ郊外の市にあったようだ。新たな共有の利害を創出したことによりコミュニティーが形成された典型的な例であろう。 
 では、「排他性」がコミュニティーの精神的基盤として構築されるのはなぜか。私は、「生態系情報の共有」が基盤にあると考えている。 
 「先祖代々の土地だから・・・」などという言葉をよく耳にする。この「先祖代々」という言葉が何を意味しているか、幾分遠回りかもしれないが、まずはここから考えてみよう。 
 これに似た言葉として、「ご先祖さまに申し訳ない」というフレーズもよく耳にする。このフレーズにおける「ご先祖さま」は、恐らくは日本古来の「怨霊思想」に起因するものだろう。我が国では昔から、「祟り」を恐れる思想がある。草葉の陰から睨みを効かすご先祖さま達にしかられる(祟られる)ようなことはしたくないのである。しかし、ではこの「先祖代々・・」や「ご先祖さま・・」に対する申し開きだけしかこれらの言葉に意味がないかというとそうではない。先祖伝来受け継いできたものには、生活に欠かせない重要な要素があるのである。それが、「生態系情報」であると私は考えている。 
 その土地土地の生態系情報とは、生活基盤であった農業を行う上で、最も重要な情報である。田畑に隣接する里山内部の情報、例えばどのような動物が住み(動物蛋白質の補給に関する情報)、どのような雑木が生えていて穀物が不作のときに補えるか等々、全ては生活に密着した情報である。また、田圃の水路に何気なく置かれている石が、微妙に水量を調節していたり、どの畔のどの部分に、春になるとウドやセリ、その他の山菜が生えるとか、様々な情報が全て生活そのものに密着している。日本人が長きにわたって行って来た農を中心とする生活体系の中で、最も重要なものが、これらの生態系情報だったのだ。いわゆる農を中心とする生活とは、自然を徹底的に観察することによってはじめて成立する生活なのである。そして、自然を徹底的に観察
すればするほど、自然のもつ多様性に畏敬の念を抱くようになる。この畏敬の念は、言ってみれば極めてアカデミックなものである。自然は観察するほどに奥深く、人の知的行為によって明らかになるのは極々僅かな部分であることを知った者のみが持ち得る畏敬の念である。確かにこの畏敬の念が、いわゆるアミニズムに発展するのだが、これは決して野蛮な宗教などではなく、徹底した自然観察の結果得られた謙虚な気持ちから生じたものに他ならない。 
 従って、先祖より受け継いできた情報、あるいは、古来のコミュニティー内で保持して来た情報の多くの部分が、これら生態系情報なのである。 
 もうお気付きとは思うが、「よそ者」が排除される最大の原因は、「よそ者」がこれらの生態系情報を共有していないからなのである。生態系の情報の殆どは、コミュニティー内部では言わば「常識」であり、常識であるが故に、当然ながら明文化されていない。この、常識としての生態系情報をもち得ぬ者がコミュニティーに侵入すると、それまで微妙に維持されてきた生態系が撹乱される。農を中心とする社会において、生態系とは「生産装置」そのものであり、この微妙にコントロールされてきた生産装置に他人が触れること自体、土着の住民にとって極めて大きな問題となるのである。 
 このように、郡部で見られる「排他性」には、その土地の生活を守る上での必然性があり、単に社交性がないとか、よそ者に対して劣等感を持っているとかと言ったことだけが原因ではないと、私は考えている。 
 しかしながら、この排他性から生ずる閉鎖的な人間関係は、社会を硬直化させ、新たな問題解決のエネルギーを削ぐ要因にもなる。いわゆる田舎社会の最大属性とは、歴史的に固定された親分子分の関係であろう。多くの郡部地域において土地土地の世襲的ボスが未だ健在であるという事実から考えても、そして、この固定的な社会構造を嫌悪する若者が都会へ逃避している事実を見ても、この郡部社会構造を全面的に肯定することは不可能である。 
 なぜ、名古屋が偉大な田舎と呼ばれるのか、それは、未だに続いている「五社会」(名古屋を代表する5つの企業、旧東海銀行、名鉄、松坂屋、中電、東邦ガスの社長が集まる会)を象徴とする固定的な社会組織があるためだろう。 
 いずれにせよ、現状において、郡部でNPO法人を立ち上げたりすると、大抵の場合、「あいつらは赤だ」と言われたり、変人扱いされたりする傾向が強いことは事実であり、精神や人脈が硬直化していることは郡部の困った属性であろう。 
 これに対して都市部住民の精神的特徴として以下のものが挙げられる。 
  ・リベラル 
  ・革新 
  ・社交性 
 果たして都会の人々が全員リベラルか、あるいは、そもそもリベラルとはどのような意味か。リベラルを字義通り「自由主義」と捉えれば、都会の人々の多くが自由主義者ということになる。郡部の強い官依存性と対比すれば、都会人は相対的にリベラルかも知れない。一般に、自由主義者とは、自由に付随する責任、特に個人の責任についてのそれなりの概念を把握している人々である。もし、この種の人々が社会の大半を占めれば、いわゆる市民社会が生まれる可能性があるが、権利としての自由しか学校教育で扱っていないという状況では、大いに疑問ではある。 
 革新性については、対極としての保守性と対比して考える必要があろう。ただし、これは政党を中心として考える、いわゆる保守・革新という区別ではない。現在の革新とは、既存の組織、即ち政党と政治色を帯びた全ての団体を否定する人々であろう。
現在の政党支持率の減少、そして過半数を超えなお膨張を続ける無党派層の増加現象を目の当たりにするとき、都市、郡部を超えて、全国的に革新の傾向が強まりつつあるというべきかもしれない。 
 都市部、郡部のメンタリティーの差としての「社交性」は、確かにあるようである。
一般的に、社交性とは、閉鎖された人間関係の中で生まれにくいメンタリティーである。親しき中にも礼儀ありとは言え、家族のような親密な関係において社交性は問題にならない。社交性が問題になるのは、主に初対面の人との関係で発揮されるメンタリティーとしてである。毎日初対面の人に出会い、しかも、その初対面の人と関係を持たざるを得ないような社会では、社会を行きぬくために社交性は不可欠である。
 仮に毎日、同じオフィスに通勤し決まった人にしか会わないとしても、渋谷の駅前のような人ゴミを通り、アフター5には職場と違った人間関係の中にいれば、社交性は少しずつ身についていくだろう。これに引き換え、毎日数人の人にしか会わない、しかも会う人は何十年決まった人であるような社会では、社交性は不必要といっても過言ではあるまい。 
 この社交性のある無しは、新たな組織、例えばNPOを立ち上げるとき、さらには、他のセクターとの合意形成に基づく協働を行う場面等での、必要条件としてのメンタリティーと言えよう。

A経済構造の違い 

 都市部と郡部の経済構造の違いは歴然としている。 
 すでに、@でもある程度は述べたが、我が国の郡部の大部分が、いわゆる「国内ODA対象地域」であることは、地方自治を推進するという行政改革の立場からも、市町村合併に伴って予想される郡部のパブリックサービス崩壊の危機を如何にして回避するかといった立場からも、極めて重要なファクターである。 
 下表が示すように、平成9年度に財政力指数が100を超えたのは東京のみである。
他の道府県は多かれ少なかれ、国からの交付金を当てにしないとやっていけない。例を挙げれば切りがないが、人口わすか1,000人あまりの岐阜県恵那郡の山里、川上村の年間予算は約10億円だが、自主財源はわずか5千万円ほどである。この村は、600町歩にも及ぶ百年檜の山林に恵まれ、この「百年檜」を6町歩ずつ毎年切り出せば余裕をもって暮らせるところだったが、檜の暴落により計画が崩れてしまった。いまでは95%を外部の財源に依存せざるを得ない状況ではある。しかし、我が国の21世紀の最大のインフラを森林資源と見れば、いつの日か状況は一変するに違いない。 
 「国内ODA」をシステムとして構築した人、即ち、いわゆるODAと同様、対象地域のボスに金が流れ込み、巨額の政治資金に裏打ちされた派閥政治を実現した人が田中角栄であった。勿論これは、角栄だけの力で為されたのではない。一足早く潤った都会と郡部の生活格差が目立ってきた高度成長後半期において、所得の再分配を社会正義と考える、根底において社会主義的な中央官僚達の力による施策でもあっただろう。金で操ることが容易な郡部住民のメンタリティー(本質的にはそうでないにせよ、国内ODA、即ち公共事業の誘致という経済的に極めて強いインセンティブを発生させることによって作られたメンタリティー)を利用しようとした郡部出身の政治家達の暗躍もあったであろう。 
 分析すれば様々な要因があったであろうが、結果として国内ODAが今もって続いていると言うことは紛れもない事実である。 
 これに引き換え、都市部では、郡部と比べて明らかに公共事業依存度が低い。住民が行政に楯突こうと、それによって生活を脅かされることはない。どのように行政と対立しようと、行政に対してどのように意見を述べようと自分の生活が変わることがない。これは、郡部と本質的に異なる経済構造であり、この経済構造の違いがそれぞれの住民のメンタリティーに及ぼす影響は絶大なものがあると思われるのである。 
 人はパンのみに生きるにあらずとは言うものの、パンがなくては生きられず、パンを求めるためにメンタリティーが変貌せざるを得ないという状況は、決して非難の対象ではなく、憂うべき対象であろう。

B蛇足として、我が国の、21世紀の最大のインフラ「森林」を如何に考えるか

 これはあくまでも蛇足ではあるが、我が国の21世紀最大のインフラは森林である。 
 森林には以下のような多岐にわたる機能があり、特に持続可能社会構築を目的としたとき、森林資源の再生、即ち、「里山の管理」は国民的な課題となる。 
  ・生態系の基盤としての森林 
  ・水、酸素等環境基盤としての森林 
  ・バイオマス資源としての森林 
  ・治水基盤としての雑木林 
 これらの機能を保持するためには莫大なマンパワーを必要とする。要は、多額の資金を導入せざるを得ない。この資金導入は、これまでの単なる国内ODAではなく、都市住民の生活を守るために必要な事業である。これまでの事業は純粋に地元住民のためのものであったが、里山再生・管理事業は、都市部と郡部双方に必要な事業なのである。しかも、「箱もの」と違い、メンテナンスそのものが事業であるため、未来永劫なくなることがない。 
 郡部の経済構造を健全化するためにも、里山再生・管理事業は21世紀型郡部公共事業の中核と為す必要があろう。 

平成9年度都道府県別財政力指数 

 

2.いわゆるパブリックな領域について 

@行政による公共の独占 

 明治以来、行政が公共分野を全て独占して来た歴史については、多くの書物で語られており、ここではあまり触れない。ただし、次のことは強調しておきたい。 
 明治以来の日本の行政の特徴は、強い中央集権体制であろう。江戸までの独立した自治が一気に崩れ、強力な中央集権が構築されたのは明治以降である。江戸時代の日本は、藩が基本的な自治の単位であり、各地の風土に適合した文化が醸成されていった。現在辛うじて残っている各地の民俗文化の大部分は、江戸時代に形成されたと言われている。この、色とりどりの地方文化、即ち、地方地方の風土に合致した固有の文化群の消滅は、黒船到来という外部圧力に対する反応としての中央集権の強化から始まる。今や、日本津々浦々どこに行っても同じような町並みで、丸で風情がないが、その原因は、強過ぎる中央集権にある。 
 日本のような、南北に広がった国土、従って多用な風土の集合体が、同じシステムで統治されると様々な弊害が生まれる。自治は本来民主主義の基本的要因であるにも拘わらず、特に郡部は「自治の心」を忘れ、強すぎる官依存性が蔓延している。 
 このような明治以来の中央集権は、ある面では致し方なかった。明治以来、我が国の置かれていた国際情勢を考えたとき、外圧に如何に対抗するかは国家の最大の課題であったに違いない。敗戦により表面上は民主主義国家とはなったものの、今現在の国家体制は引き続き「戦時体制」と言わねばなるまい。これについては、『1940年体制』(野口悠紀夫)に論じられており詳細は触れないが、現在の社会制度が1940年前後のいわゆる戦時体制から殆ど変化なく今日に至るまで連綿と継続しているものであることを忘れてはならない。幸いにも、この体制が戦後も継続されたからこそ、奇跡と言われた高度成長を為し得たのである。従って、戦時体制が継続されたことを単に非難することは出来ない。しかしながら、今日の日本社会の多くの諸問題のルーツを追求したとき、この継続せる戦時体制に求めざるを得ないことも事実である。 
 そもそも、地方自治とは、間違っても霞ヶ関主導で行われるものではない。自治はあくまで自治であり、地域が自治の基盤である。さらに言えば、地域の小コミュニティーこそが自治の基盤なのである。そして、これを成り立たせる唯一の精神的基盤は、地域の問題を主体的に、自発的に解決しようとする住民の精神であろう。

A都市型NPO活動と、郡部型NPO活動 

 ――ぎふNPOセンターが行った2つの調査より―― 
 最近急激にNPOという言葉がマスメディアを賑わしている。3年前特定非営利活動促進法が施行されて以来、NPO法人数は着実な伸びを見せている。しかしながら、NPO法人の所在地は都市部に集中しており、流布されているNPO論も都市型の社会に通用するものと考えられる。しかも多くのNPO論は欧米からの直輸入であり、我が国の社会風土にどれほど適合するかといった視点はあまり論じられていない。NPO論を展開している多くの人々自身が都会型の精神風土をもった人々であることも充分予想され、そのような人々が作ったNPO論が郡部で論じられるとき、大きな違和感が生じていることも事実であろう。 
 ここでは、これまで概略的に論じてきた都市部と郡部の精神風土の違い、あるいは経済構造の違い等を土台とし、しかも、現在急速に進展しつつある市町村合併に伴い予想される郡部パブリックサービス崩壊の危機をどう回避するかといった視点で、都市と郡部のNPO活動(非営利・公共活動)が如何なるものかを探ってみたい。 
 尚、これを論じるに当っての基礎データとして、今年度ぎふNPOセンターで行った2つの調査結果を用いることとする。 
 先ずは調査の概略を記したい。 
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[調査概要] 
   1)『NPO活動支援基盤整備のための実態調査』 
     調査対象:県内ボランティア組織(418団体)、NPO法人(66法人) 
     調査方法:アンケート(ボラ、NPO全団体)、ヒアリング(全NPO法人) 
     結果概略:・ボランティア組織の大半は地縁組織系のもので、行政の補完 機能である。 
                     ・地縁型ボラ組織は問題意識が低く、現状に満足している。 
                     ・ボラ組織とNPO法人では予算規模と主要財源が異なる。 
             ボラ組織:10万〜50万円が最頻値 
                            主要財源は行政からの補助 
             NPO法人:1,000万〜3,000万円が最頻値 
             主要財源は事業収入 
                            ・NPO法人とボランティア組織は異質なものと考えられる。 
                            ・NPO法人はボランティアが組織化されたものではない。
                             ・NPO法人化の意志があるボラ団体は一握りである。 
   2)『NPOと行政の協働および評価に関する実態調査』 
     調査対象:県内全NPO法人(66法人)、県内全市町村(99自治体) 
     調査方法:アンケート(全調査対象)、ヒアリング(全調査対象) 
     結果概略:・協働実績は数えるほどしかない。 
          ・町村部ではNPOという言葉自体、全く浸透していない。 
          ・郡部のボラ活動は、多くの場合行政マンが背負っている。 
          ・特異的にだが、住民の主体性に基づく活動が郡部でも見られ 
           るが、市町村合併に伴い消滅する可能性がある。           
          ・郡部では、これまで半ば無条件で行ってきたボラ団体への補 
           助を、市町村合併に伴い切りたいと考えている。 
          ・多くの市町村はリーダーの不在を危惧している。 
          ・行政主導で作られたNPO法人が幾つか見られる。 
          ・協働の根本的システムである合意形成のルールがない。 
          ・対等性を確保するため、多くのNPOが多大なエネルギーを 浪費している
                        (行政には協働に対 するスタンス上の理解が薄 い)。 
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 この2つの調査結果でお分かりのように、郡部のNPO活動は、言わば行政が音頭を取ったボランティア活動に支えられていることが分かる。このボランティア活動の主体者たる組織は大概が行政の周辺に位置する外郭組織であり、悪く言えば、単なる行政の補完機能であり、さらに言えば、「ボランティアと言う名の強制労働」である場合が多い。ボランティアという言葉の字義通りの意味である「自発性」は、よほど探さない限り見られない。また、郡部の行政マンの多くは、自治会、PTA、青年団、消防団等々数多くのボラ組織のリーダーになることを余儀なくされ、「もうこれ以上勘弁して欲しい!」と感じている方々も少なくない。 
 これに引き換えNPO法人は、多くの場合いわゆる事業体としての色彩が強い。確かに、事業といえども行政からの委託事業(協働事業)が大半を占めるかも知れないが、自発性に基づく行為である点で、ボラ組織とは一線を画する。 
 また、郡部では、パブリックサービス領域の殆どの部分が行政と行政主導の外郭組織の活動で満たされており、NPO法人が入りこむ隙間は一見見かけられないほどである。これは、人口が少ないためと、精神性が画一化している?ために、多様化したパブリックニーズへの要求がないためであろう。これと対照的に、都市部では行政や行政の外郭組織が行っているサービスでは、パブリックサービス領域を網羅することが出来ない。当然郡部と比べればニーズははるかに多様化していることが予想され、それが原因で行政の手の行き届かない領域が存在するのであろう。都市部では幸いなことにNPO法人が活躍する場が豊富にあるということである。 
 郡部では、未だNPOという言葉すら知らない人々が多く、冗談のような話だが、NPOとPLOを混同している方々さえ存在する。今回のアンケート調査ではじめてNPOという文字に接し、慌てて勉強を始めたという行政の方もいらっしゃった。日本の風土に根付いたNPO論すらない現状では当然のこととは言え、NPO法人と従来のボランティア団体の区別が頭の中で明確化されている人は皆無に近い状態である。 

B岐阜市は都市型か?

 このように、岐阜県を例に取れば、大部分(恐らくは99市町村中98市町村はほぼ確実に)がいわゆる郡部に属してしまう。人口で言えば、県民210万人のうち、170万人が、いわゆる郡部の住民ということになる。従って、県全域のNPO活動の推進を考えるとき、170万人の郡部住民を擁する98市町村に向けた対策を如何にするかは極めて重要なポイントとならざるを得ない。また全国的に考えても、純粋な都市型NPO論が通用する地域は、東京周辺と大阪周辺部のみであり、他の大部分の地域では、新たなる『郡部型NPO論』を展開せざるを得ないのではないだろうか。 
 ここに、今回論じている郡部NPO活動論の価値が存在するのである。 
 さて、都市部と郡部をどのような観点で分離するか、なかなか難しいことではあるが、岐阜を例にとって考えてみよう。 
 岐阜市は県内では抜きん出て規模の大きい都市である。人口は41万人ほどで2番目に大きい大垣市の約15万人に比べても格段に規模が大きいことが分かる。人口10万人以上の市は大垣を筆頭に3市あるが、20万、30万人台の市はない。岐阜市は県内では最大の都市なのである。しかしながら、地域を支えるマンパワーは固定的な人脈の上に成り立っており、その点では県内の他の市町村と変わるところがない。全国的に有名な繁華街である柳ヶ瀬とは言え、翌朝になると誰と誰がどこで昨夜飲んでいたかが伝わるといった状況なのである。勿論都会的な精神風土を持った人々がいないわけではなく、県内のNPO法人も岐阜市に集中してはいるが、人口の大きな流動がない以上、そして、あるスレッシュホルドを超えた人口規模(恐らくは100万人前後か?)でない以上、岐阜市といえども郡部の属性をふんだんに含んでおり、都市型NPO論だけでこと足りるとは思えないのである。

Cベッドタウンは都市型か?(中間型としての多治見、可児が示すもの) 

 岐阜県には、多治見、可児を中心とする、いわゆるベッドタウンが幾つか存在する。多治見、可児ともに中京圏のベッドタウンで、多くの住民は名古屋を中心とする他の市町村に通勤している。中でも可児はここ10年で飛躍的に人口が増加した市である。両市とも、既に人口の50%以上が他の市町村から流入して来た人々である。従って、人口比率だけから考えると、いわゆる都会型の精神風土が体勢を占めるという予測が立つ。しかしながら、実態はそうではない。そもそもベッドタウンの住民は、単に寝に帰ってくる主人とその家族という構成であり、町に対する愛着や、その土地に密着した人脈の中にいるわけではない。外部からの流入人口が過半数になろうが、まちづくりや地域のボラ活動の中心はあくまでも地元民なのである。自治会、PTA等々、地縁型=行政補完型組織の役員の大部分は昔から地場に住み着いた地元民で構成されているのである。特に多治見は陶磁器業という地場産業があり地域と密着して来たため、その力は今でも大きい。『問題を起こすのはいつでも決まってよそ者だ』というせりふも、しばしば彼らから聞かれるのである。

Dどちらが多いか、都市型と郡部型 

 このように考えていくと、とりあえず岐阜を例とすれば県内の全ての市町村が『郡部』とのレッテルを貼られてしまう。勿論郡部としての傾向の強弱はあろうが、県内最大の都市である岐阜市ですら都市型NPO論が完全には通用しないとなると、この結論は認めざるを得ないような気がするのである。 
 先ほどは東京大阪周辺と曖昧なる表現を使ったが、東京・神奈川・千葉の都市部、大阪の都市部を除いた全ての地域が、『郡部』としての属性を強くもっているというべきだろう。 
 もしこの事実を容認するならば、現在流布されている日本のNPO論(多くは欧米からの舶来品)は大幅に修正せねばならない。そして、新たに創造する日本型NPO論なくしては、第3のセクターとしてのNPOが社会全体に機能することは有り得ないのである。

3.市町村合併の影響 

@郡部パブリック領域を支えてきた外郭組織一覧(下図参照)

 さて、ここからは全国津々浦々にまで浸透している行政主導型NPO活動の実態を見ていくこととしよう。 
 下図をご覧頂ければ一目瞭然であるが、これらの組織が我が国の郡部NPO活動を今まで支えてきたのである。殆ど全てが悪く言えば行政ぶら下がり型の組織であり、リーダーシップは実態として行政が握ってきたと言える。行政とて、公平性、平等性の原則だけで公共サービスが担えるとは考えておらず、地域地域の問題を解決する上でも地域の諸団体は必要であった(図中で主体性を保っているのは商工会議所関係の組織のみか?)。 
 私自身、昨年度の恵那市のPTA連合会長という不名誉な役についたが、各学校の単位PTAはいざ知らず、市の連合会、さらに広域の連合会、県連合会・・と言った組織は、子供の教育のためというよりは行政のための行政による組織であると痛感した。ここ数年多少改善されたとは言え、PTA連合会の会長という職には、無数のあて職と言われる任務が付加される。数え上げたら切りがないが、青少年育成会議、学校給食関連の会議、学校保健に関する会議等々様々な会議へのアリバイ工作的出席を要求される。数年前に会長をやった方は、何と年間192日もPTA関連で動いたそうだ。 
 私は会合があるごとに、『ボランティアと言う名の強制労働には意味がないので止めましょう』とか、『組織維持のための組織は止め、問題解決型の組織に変革しましょう』と言ってきた。しかしながら担当の行政マンとして止めるわけに行かない事情があることは事実であり、致し方ない状況ではある。 
 勿論、地域の自治を確保するために必要な組織もあろう。しかし、地域住民が自らの問題を自らの手で解決するという基本理念に則った組織でない限り、そもそも問題に対する意識すらなく(問題は住民でなく行政が解決してくれるという誤った感覚)、かといって公平性、平等性という行動原理をもつ行政が地域の個別問題を解決する手段を持たないことを住民が理解しているわけでもない。要するに、地域の個別問題を解決するセクターはないのである。住民に問題意識がない限り問題の抽出すらも不能であり、従って住民の多くは不満なく、平和である。少々おおげさであるが、社会全体が危機的状況を呈しているなど誰一人として気付いてはいない。 
 このような状況の中で危機を訴えるものが出ても、所詮『赤』のレッテルを貼られるのが落ちであろう(断っておくが、私自身右でも左でもない。ただし、客観的把握として我が国は人類史上数少ない、共産主義ないし社会主義を実現した国と考えてはいる。さらに言えば、それを実現したのは共産党ではなく自民党だということを付け加える必要はあるが。)。

 注)日本のPTAはほぼ強制的に加入させられ、全国組織である社団法人日本PTA 連合会は全国1,200万人の小中学生の親から一律3円の『上納金』を取ってい る組織である。ちなみに岐阜県の連合会の予算規模は2,000万円ほどで、事務 を取しきっている方は元校長である。アメリカにも全国的組織はあるが、NPO法人であり、当然参加は任意。活動は、例えばTVの暴力シーンやセックスシーン等を分析しTV局に報告することにより問題シーンを減らすなど、まさに問題解決型の組織として運営されている。

A郡部パブリック領域の構造的欠陥

 もはや大部分を論じてしまった感があるが、郡部パブリック領域の構造的欠陥は、一言で言えば行政主導にあるといって良い。ただ、我々NPOに関わる者達が注意すべきは、個々の行政マンに欠陥があるのではなく、行政がパブリック領域を独占してきたということ自体に問題があるということである。行政マン全てが権力を傘に高圧的態度で住民に接しているわけではなく、行政マン全てが無駄な仕事をだらだらとこなしているわけでもない。個々の行政マンに付き合えば付き合うほど、我々NPO関係者以上にNPO的な方々も多く、改革の意志をもっていらっしゃる方も少なからず存在する。「生活が行政並に保証されるという前提で、NPOと行政とどちらを選びますか」という問に、「給料が多少減ってもNPOがいい!」と力強く答えてくれる行政マンが何人もいるのである。 
 地方行政が全国完全に一律であったなら、地域特性を生かしたパブリックサービスが展開されるはずがない。地域としての特性を持った公共団体には、必ずといっていいほど情熱的な行政マンがいるもので、そのような人の個人的存在によってこそ、地域はその特徴を保ちつつ成り立つのである。 
 ただし、そうは言っても、行政主導のパブリックサービスと、それを支える極度に官依存性の強い住民というペアだけで全てが解決するわけではない。後に論じる市町村合併に伴うパブリック領域の再編を予想するとき、今、システムの根本にメスを入れない限り郡部パブリック領域は崩壊の危機に瀕するのである。

B合併に伴う統合をどう考えるか 

 既に調査の概要でも述べたように、市町村は合併に伴って地縁団体系のNPO組織に対する無条件の補助を打ち切ることを考えている。国、県、市町村とも、財政は逼迫しており、切れるところは全て切りたいと考えている。 
 先日、某市の建設課職員から次のような相談を受けた。某市の財政は逼迫しており、このままの状態が続けば、3年は持たない。とりあえず、現在行っている道路のメンテナンスの内、草刈だけでもボランティアでやって欲しい。毎年草刈だけで1億円かかっている。 
 私の住む恵那市の場合、とりあえず通学路の草刈はPTAの行事として行っているし(草を刈らないとマムシが出たりする)、春と秋には、『彼岸道づくり』と称する道路清掃が自治会で催される。恐らくこのようなことは、都会では有り得ない。都会の道は、その殆どが行政によってメンテナンスされており、住民がそれを行うことはないだろう。道路の草刈だけではなく、郡部のパブリックサービスとは、概ねこのような形で住民を使った『ボランティアと言う名の強制労働』によってまかなわれている場合が多い。必要なものは必要だが、不要なものは止めた方が良い。 
 この道路の草刈、そして前述のPTA等々、郡部にはボランティアと言う名の強制労働が満ち溢れており、これ以上増やされたらたまったものではないと考えるのが正常な感覚である。せめて、NPO化して、しっかり実費を要求することがない限り、持ちこたえられまい。業者に委託すれば1億円かかるが、NPOへ委託すれば、恐らくはそれほどかかるまい。果たして、道路の草刈をするNPO法人が住民の自発性に基づいて組織化されるかどうかは不明だが。 
 さて、このような『ボランティアと言う名の強制労働』が、市町村合併に伴ってどうように変化するだろうか。このようなボランティア組織はほぼ完全に官依存的で自発性はない。従って、行政が『止め』と言ったらすぐになくなってしまう可能性が高い。不必要なのもがなくなることは大いに結構だが、必要なものまで消滅してしまっ
てはまずい。 恐らく、多くの行政ぶら下がり組織は、市町村合併に伴って一元化されるだろう。そして、これまでのような無条件の補助金もなくなるだろう。そうした時、本当に必要なパブリックサービスを誰が担うのか。また、行政外郭組織の一元化によって、数は少ないといえども住民の自発性に基づいて運営されてきた組織が崩壊する可能性もある。後述するが、郡部といえども住民の自発性に基づいて運営されてきた、特色あるNPO組織が存在する。せめてこのような組織だけでも、市町村合併の余波を受けずしてこれまでの活動を継続できるシステムを社会に構築する必要があろう。そして、その社会システムとは、恐らくはNPO法人化であろう。 

4.  真の地方自治へ 

@補完性の原則(EUの行動原理より) 

 補完性の原則は、自治を考える上で最も重要な原則の一つであろう。近年声高に論じられている『自己責任』という言葉も、基本的には補完性の原則に則った概念である。 
 私事で恐縮ではあるが、我が家はコンポストトイレを使っている。しかも、住居の隣が畑なので、屎尿、生ゴミの処理で行政のお世話になったことがない。これは私自身がサスティナブルな社会構築という巨大な目標に向けて僅かばかり貢献しようとしているからだが、家庭で処理できることは全て家庭で処理するという思想が、補完性の原則のスタート地点である。家庭では処理できないことをコミュニティーで処理する。コミュニティーでも処理できないことを、さらに大きな自治体で処理する・・・という原則が、いわゆる補完性の原則である。補完性の原則が強く働けば働くほど行政負担は軽減される。 
 この原則は既にEUの行動原理の一つにもなっており、しかも、愛知県市町村合併推進要綱にも記載されている重要な原則である。そして、この原則こそが、住民が自らの問題を自らの手で解決するというNPOの根本原則なのである。我々NPO関係者が理想とする住民主体の社会を形成するためには、住民一人一人がこの原則を頭の中に叩き込む必要があろう。そして、真の地方自治、即ち、自立した地域コミュニティーの集合体である地方自治を論ずるときにも、先ずはこの原則に対する充分なるコンセンサスが必要となろう。 
 以下のチャートは、環境をキーとした補完性の原則を図示したものである。 

 家庭       処理可能   処理不能   家庭のエントロピー増大 

 コミュニティー  処理可能   処理不能   CMのエントロピー増大 

 自治体(市町村) 処理可能   処理不能   自治体のエントロピー増大 

 道州       処理可能   処理不能   道州のエントロピー増大 

 国        処理可能   処理不能   国のエントロピー増大 

 東アジア     処理可能   処理不能   東アジアのエントロピー増大 

               ・ 
               ・ 
*図中で、各セクターのエントロピーが最小になるシステムが望ましい。

A補完性の原理の延長線上としての新しい自治体

 これは既に岐阜県の公式文書にも挙がっていることだが(平成13年度岐阜県地域計画局作成)、市町村合併が進み地方自治が本格的に進行すると、県の存在意義はなくなる。現在予想されている市町村合併が具体化すると、先ず不必要になるのが地域振興局である。また、県の出先機関である県内各地にある県事務所の仕事は大幅に削減せざるを得ない。さらに合併の規模が徐々に拡大すれば、県そのものが不要となる。従って、現在進行中の市町村合併を推進するということは、極論すれば県を廃止し、道州制へ移行することを前提とした議論となる。さらに、道州制への移行は国の権限を大幅に道州へと移行することを前提としており、霞ヶ関に閑古鳥が鳴くことが結末として用意されている。 
 当然ながらそこに至るまでの道程には幾多の地雷源やら鉄条網が存在するわけだが、現在の国家をはじめとする行政組織の逼迫した財政状況を改善するためには、道州制という選択は避けて通れないだろう。これまでのような強すぎる中央集権は1940年体制の遺物、即ち、戦時体制の遺物であり、大きく変革せねばなるまい。 
 こうした議論は、行政の中でもここ数年少しずつ進んでいるようであるが、行政が行政自身を縮小することにどれほど積極的になれるか疑問ではある。では、誰がこの議論を積極的に進めるべきか。私の考えでは、NPOこそがこの議論の中心的主体者になるべきである。自治の原則を、そして、幾分歯が浮ついている言葉ではあるが『住民主体の県政・市政』といった言葉を字義とおり実行するためには、市民社会の実現の先鋒たるNPOが率先して青写真を描く必要があろう。 
 ここでは概略に止めるが、国家の業務は、外交、防衛、治安の3つが中心であり、他の大部分の業務は道州へと移行すべきだろう。道州は大きな権限を持ち、現在の国家に匹敵するガバナンスを担当すべきであろう。 
 しかし、自治を推進する基本原理はあくまでも補完性の原則であり、そのことを無視して上部組織から業務内容を決めてはならない。あくまでも下部組織で不可能な部分を上部組織が補完するというスタンスが重要であろう。 
 そのようなスタンスに立ったとき、合併後の新たなる自治体は、行政としての最小単位であり、地域のパブリックサービスの中心的担い手となる。ただ、これまでの行政とは異なり、あくまでも主体性を持った、真の意味での自治体となる必要があろう。
そして、名実ともに真の意味での自治体をなるためには税制の抜本的改革が必要となろう。これまでのように、上部組織からお金が流れてくる仕組みではなく、地域で生まれた税を地域で使うという、言わば『税の地産地消』を可能とする税制に変革する必要があろう。後述するが、納税者からNPOへの目的税的な資金の流れを作ることと同時に、税の地産地消が実現しない限り、真の意味での地方自治は生まれては来ないのである。 

Bそもそも、どの位の人口規模がコミュニティーとして相応しいか

 この問題は、古来コミュニティー論の一つの中核である。多くの説があるが、人口3,000〜5,000人程度がコミュニティーとしてのまとまりを保持できる規模だという説がある。実は私自身、この程度の規模が人間の等身大の感覚、生活者としての感覚から適切ではないかと考えている。今年度行った県内全市町村へのヒアリングから得られた感覚からも、この規模が相応しいのではないかと感じている。この規模の町村は、極端に言えば町民・村民は殆どが顔見知りという規模である。町民一丸となったり、村民一丸となったりすることが可能で、特色ある活動が為されている自治体もこの規模の町村に多い。 
 一般にコミュニティーの適正規模の割り出しは、行政サービスの効率化として論じられる場合が多い。学校区の規模等を基準に論じられることも多い。 
 本来、コミュニティーの規模を考える上での重要なポイントは、サスティナブルなコミュニティー、物質循環の単位としてのコミュニティーという考えが今後重要になろう。これを自然科学的に表現すれば、比較的閉じた生態系(当然だが、人間も生態系の一員として考える)が、一つのコミュニティーである。この論に従えば、『流域・
水系』という概念や、里山を中心とするコンパクトな地域といった概念が重要性を帯びる。このような議論は、恐らくは江戸時代から戦前に至る地域の歴史的なまとまりのようなものを土台としてすすめる必要があろう。 
 ざっくり言ってしまえば、『中学校区』位がコミュニティーとしての最小単位であろうか。同じ学区という意味は単に教育行政としての意味だけではなく、親同志のつながりがあり、子供同志のつながりがあるという点で、幾代にもわたった人的交流の基礎としての意味が大きい。 
 このような観点で市町村合併を考えてみよう。 
 先ずは例としてわたしの住む恵那市を挙げることとしよう。 
 恵那市は人口35,000人ほどの小都市である。この恵那市と、周辺の町村との合併話が現在進んでいる。周辺の町村は、最小の村(串原村)の人口が1,000人強、最大の町(明智町)の人口が7,000人台である(下表参照)。

  


 この程度の合併では財政的なメリットはあまりないが、コミュニティー論としてこの合併事例を考えてみる。 
 このグループの中で、恵那市以外は規模としてまとまりがあるいわゆるコミュニティーを形成しているといって良いだろう。串原村が少々小さすぎる点と明智町がやや大きめである点を除けば、人口規模は3,000人から5,000人台である。 
 この町村グループに比べ、恵那市の規模は大きい。と言っても、県内では2番目に小さい市で、財政状況も下から2番目である。恵那市は8つの町に分かれており、中心部の大井、長島町の10,000人レベルから周辺部の800人台まで大きなばらつきがある。しかしながら、恵那市を数1,000人の適正規模の町に分割し、この市内の町群と、今後合併すべき町村が同等ということになればよい。これが本質的な対等合併である。と同時に、新たに分割された市内の町群と、新しく合併する町村それぞれが同等であるようなシステムが出来れば、理想的ではないだろうか。この場合、市内の町群が背負うべきパブリックサービスと、新たに合併する町村が担うべきパブリックサービスが同等になる必要があろう。これを実現するには、現市内の町群それぞれにある市の支所の機能を拡大し、新たに合併する町村の行政機関は縮小する必要が出てくる。総合的に新市の行政機能は出来る限り縮小し、新たに装いを変える町村群(現市内の8町と合併する5町村の合わせて13町村)の担うパブリックサービスを最大化することが望ましい。 
 これが補完性の原則に基づく新たなる地方自治体制である。 

B財源をどこに求めるか

 さて、我々の議論はついに最終段階へと突入した。抜本的な税制改革なしには、真の意味での地方自治は実現できず、しかも、NPO社会の到来も有り得ない。 
 地方自治の財源を考える上で重要なことは、今後のパブリックサービスの主たる供給源をどこだと考えるかである。国なのか道州なのか、市町村なのかという選択である。また、当然ながら、補完性の原則は守らねばならない。 
 この2点を総合すれば、主要な徴税権は市町村が持ち、道州へは、その道州を構成する市町村から、国へは、国を構成する道州からという、これまでとは全く逆な税の流れが考えられる。当然、市町村格差、道州格差を是正するための、従来通りの上からの税の流れを補完的に作っておくことは必要であろうが、基本的な税の流れは逆転させる必要があろう。これは言ってみれば江戸時代の金の流れである。江戸時代に、中央(江戸)
の補助金で地方が潤った例はない。様々な目的があったにせよ、基本的な金の流れは上からではなく下から上へというものであった。全国総『江戸化』などということは無かったし、地方は地方で特色ある文化を醸成出来たわけである。上(中央政府)からの金の流れは、行政の行動原理の根幹である『公平性』、『平等性』を貫く以上、全国均一化の方向を取らざるを得ない。従って、税においても、『地産地消』を基本とすることにより、はじめて地方の特色ある文化、即ち生活体系が醸成されるのである。 
 日本はどこに行っても大体同じで旅をする楽しみの無い国になってしまった。特色ある地方文化を形成する、あるいは掘り起こすためにも、そして、サスティナブルな社会を形成する上でも、各地の風土に適合した文化をもう一度再生するためにも、税の地産地消は必要となる。 
 亜熱帯から亜寒帯までという、風土上明らかな物理的差異がありながら、金太郎飴のような生活を全国民がするということ自体、間違い無くエネルギーの無駄を生じさせ、持続不能社会となる。当然だが、日本国の更なる上部組織である(?)アメリカによるグローバルスタンダードとやらに翻弄され、『世界標準の生活』を選択することは、人間社会全体を持続不能にする愚行であろう。 
 これまで述べた税に関する提言はあくまで行政に関するものであったが、もう一つ改善しなければならない点がある。それは、民間(納税者)からNPOへのダイレクトな金の流れを作ることである。 
 昨年の10月に施行された、認定NPO法人に関する法律は、その第一歩ではあった。残念ながら、認定NPO法人になるためのハードルがあまりにも高く、全国8,000のNPO法人中、ハードルを越えた組織は僅か10法人程である。また、認定NPO法人に寄付する側の、主に企業に対する優遇措置が今だ不充分であり、供給サイドのインセンティブが一気に高まったとも思えない。 
 最終形として私が提案するシステムは、『目的税』としての、納税者からNPOへのダイレクトな金の流れを作ることである。この金の流れが出来ると、現状で推進されている、委託を中心とする『行政とNPOの協働』は姿を消し、NPOの単独事業としてのパブリックサービスが拡大する。行政サイドは、NPOとの協働といえども、補助が中心となろう。 
 この、納税者からNPOへのダイレクトな金の流れは、NPOが供給するパブリックサービス、ひいてはNPO自体を淘汰する働きを持つ。納税者はあくまでも自分の意志で寄付する(納税する?)NPOを選択するため、不必要と思われるパブリックサービスには資金が供給されない。住民(納税者)が必要と思うパブリックサービスのみが生き残る仕組みである。当然だが、NPOサイドとしては、自分たちの提供するサービスがいかに重要であるかを、常に住民に広告する必要が生まれる。何れにしろ、長きにわたって行政が独占して来たパブリックサービスを、行政という閉ざされた空間から、民間という開かれた空間に移行し、要不要の判断を官僚の手から民間の手に移行することは、中央集権から地方分権という流れとともに、今後早急に推し進めねばならない行財政改革の骨格である。全てとは言わないが、税というもの、行政を通過すると目減りする。複数の行政を通過すればするほど目減り率は高くなる。納税者からNPOへのダイレクトな金の流れは、この目減りを防ぎ、国民負担を変えること無くして、今以上の質の高いパブリックサービスを国民に提供することを可能にするのである。 
 当然、各種規制緩和も同時並行的に推進する必要がある。 
 要は、全てを同時並行的に改革しなければならないということで、このこと自体が改革を遅らせる大きな要因ではないかと思われる。様々な方向性から一気に改革を行い得る唯一の条件は、強いリーダーシップの存在である。それがない(?)という現状が、実は今日的危機の最大の中身であろう。

Cパブリックサービス民間移行の手法

 さて、この辺でお金の流れの話は終了し、長きにわたって行政が独占して来たパブリックサービスを、行政という閉ざされた空間から、民間という開かれた空間に移行する手続きを考えてみたい。 
 昨年度岐阜県を皮切りに始まった『構想日本』による『仕分け作業』は、その後複数の県で実施され、内容的には少しづつではあるが過激度を増してきているようだ。
 この県レベルでの仕分け作業は、県の抱える事業全て(細々事業レベルで6,627項目)を、民間、国、県、市町村の4カテゴリーへ仕分けする作業である。岐阜県の作業結果を見ると、歳出金額ベースで県に残すべき事業は59%、市町村への移管事業は28%、国へは5%、民間へは8%という結果であった。後発の他県では、この4カテゴリーに、『不要な事業』という新たなるカテゴリーを追加した県もあり、なかなか評価できる。 
 この仕分け作業はあくまでも行政内部で行われた、行政の行政のための仕分け作業であり、これによって真の意味での地方分権、行財政改革が出来るわけではない。しかしながら、歳出額ベースで民間へのシフトが8%という数字は大きな意味を持つ。パブリックサービスの民間移行を考える上で重要な基礎データであることに変わりはない。 
 パブリックサービスの民間移行手続きを考える上で、幾つかの重要な前提がある。それは、『制度改革の主体者は誰か』という問題である。行財政改革や地方分権という言葉はここ数年様々なセクターで叫ばれてはいるが一向に進まない。霞ヶ関では、省庁再編が行われたが、結果として特殊法人数は増えてしまった。なぜこれほどまでに進まないのか。その最大の理由は、改革の主体者が、改革を必要とする行政そのものだからである。一言で言えば、結果論として、行政に行政改革は出来ない。そして、霞ヶ関に地方分権は出来ないということである。自己自身の改革、そしてこれまで占有して来た権限を放棄すること、これは一般的には不可能であり、特に我が国の精神風土(あまりにも強すぎる自己保存的精神性)を考慮したとき、不可能度は100%以上であろう。勿論、このような現状に憤慨し、孤軍奮闘している『侍』的精神を持った行政マンを私自身幾人も知ってはいる。しかし、行政という組織の中で、組織のルールに従って行動することを前提とすれば、かつて203高地へ突入した何万の兵と同様な運命を辿ると考えざるを得ない。ただし、兵隊と行政マンには根本的な相違点がある。兵は兵としての行動しか許されないが、行政マンの場合、アフターファイブは一市民である。心有る行政マンの志を具現化する唯一の秘策は、行政マンとしてではなく、一市民として、あるいはNPOの一員として行動することである。また、郡部に行けば行くほど、存在するセクターは第1セクターたる行政に一元化されている。そのような社会で改革を可能にする人材は、実は行政あるいは行政OBにしか求められないということも、重要な事実として認識する必要があろう。 
 さて、以上のような理由で、パブリックサービスの民間移行手続きは民主導で行う必要がある。しかし、行政の内部構造を熟知した民間人・NPO関係者がどれだけいるかという危惧が生じる。よりプラクティカルな手法として、行政とNPOの協働により、行財政改革、地方分権を進めることを考えざるを得ないだろう。 
 このような発想から生まれつつあるパブリックサービスの民間移行手続きが、現在岐阜県とぎふNPOセンターの協働で作成中の『NPOと行政の協働ガイドライン』である。  このガイドラインの最大の特徴は、流れ図のスタートを『フィージビリティー調査』としている点である。フィージビリティー調査とは、NPOとの協働の可能性調査であり、前述の構想日本による『仕分け調査』と同様、細々事業ベースで全ての事業に関してNPOとの協働可能性を探る。しかも、この作業をNPOと行政の協働で行うことに極めて重要な意義がある。岐阜県ではこのガイドライン作成に先駆け、庁内全部局に対してNPOとの協働事業項目の提案提出を試みた。結果は、案の定、わずか4件の提案提出にとどまり、行政によるフィージビリティー調査の不可能性を証明した形となった。 
 勿論、県が抱える6,627項目の事業全てをフィージビリティー調査にかけることは困難であろう。また、仕分けの基準づくり等、作業を通じてブラッシュアップしていく必要のある要素も多い。しかし、実はこのフィージビリティー調査は、行財政改革の根幹であり、その根幹的業務をNPOと行政の協働で行うことの意義は、余りあるものがある。 
 以下のチャートは、フィージビリティー調査のフローと、そこから生じる協働事業を 資金的に成立させる税の流れ(前述)を表したものである。  *A〜Eまでの区分は、山岡によるものとほぼ同等  *「X」領域は駒宮が作成 

  


  

  

 


*「従来の税制とNPO」には、上からの金の流れと、行政による目減りが 強調されている。
*「税制改正の主眼」では、納税者からNPOへのダイレクトな金の流れが 強調されている。この流れがない限り、NPOの財政は健全化されない。 
*「市町村合併、道州制後の理想的形態」では、主たる徴税権が市にあることを強調している。このチャートには、税の目減りはない。 

5. NPO化を通しての新しい試み(先端事例研究)

@陶宅老所(瑞浪市) 
  ・自治会を巻き込んだ、郡部型NPOの新しい形 
A山岡町 
  ・町民全員がNPO会員? 
B消防団をNPO化 
  ・地縁組織の典型、消防団がなぜNPOになるのか 
C加子母社会福祉協議会 
  ・理事長、事務局長ともに民間人

6. 日本再生を主導するNPO社会とは

@「ボランティアからNPO」へという本質的誤解

 ぎふNPOセンターが行った今回の調査でも明らかなように、ボランティアが組織化されてNPO法人へと進化するというこれまでの認識は、とりあえず郡部では適応されない。郡部へ行けば行くほど住民は強い官依存性を保有し、行政が音頭を取るボランティアには参加するものの、自発的に問題を解決しようとする者は極めて稀である。勿論今後の急激な社会変化の過程で郡部においても住民の意識改革が為される可能性はあるが、それはあくまで希望的観測に過ぎない。郡部の、特に50代、あるいは60代以上の方々は、その方々の生活史の中で、今が一番幸せなときだと認識している。なぜなら、都市部より一足遅れて到来した高度経済成長の恩恵を受け始めてからの時間経過が足りないためである。『田舎の生活も大分良くなった』というのが現在の生活
者としての実感であり、危機意識というものは皆無に近い。従って、問題意識も皆無に近い。さらには、万が一危機が訪れても、科学技術で何とかなるだろうという、科学に対する甘すぎる期待感も存在するだろう。そしてさらにまずいことには、この世代の人々が郡部のマジョリティーを形成していることだ。郡部の人口ピラミッドは極端な先細り形であり、そもそも『明日の社会を考える』というスタンスが枯渇している(慢性化している不況の影響を郡部も受けており、危機感が全くないわけではないが・・・)。 
 このような精神風土を形成しているいわゆる郡部が我が国の大部分だとしたら、ボランティアが組織化されてNPO法人へと進化するというような考えは、絵に書いた餅と言っても過言ではあるまい。

Aパブリックサービスの落穂拾いとしてのNPO 

 このような現状の中でも、一部の人々はNPO組織を立ち上げ、何とか社会に満ち溢れている問題を解決しようと日々努力を重ねている。しかし、これまでの議論でも明らかなように、特にパブリックサービスの殆ど全てを行政と行政の外郭組織が独占している郡部では、NPOに与えられた領域は極めて狭く、『落穂拾い』をしているに過ぎない。 
 そもそも我が国のNPO活動は、財団、社団、学校法人、社会福祉法人、医療法人等々、既成の法人が行ってきた。これらの法人と行政で、パブリックサービス領域のほぼ全てを網羅して来たのである。当然それでも足りない分野が存在したからこそ、特定非営利活動促進法が出来たわけだが、少しだけ高いパースペクティブから一望すれば、NPO法人の占める領域は、都市部であれ郡部であれ、落穂拾いの状況ではないだろうか。 
 もちろん既存の組織が行政と強く付着して来たことに起因する硬直化による問題解決能力の劣化は大きな社会問題であろう。しかし、広義のNPO活動全体の中で、NPO法人が担う領域は残念ながら広いとは言えない。 
 これが我が国のNPO法人の実態であり、法人数が爆発的に増加しているとは言え、NPO法人の生み出す生産量は、已然対GDP比で1%に満たないというのが現実である。   
 NPO推進施策として為すべきことは無数にあるが、先ずは良質なNPOを如何にして育てるかは重要な課題といえる。マスメディアが毎日のように報じるNPO関連情報は、NPO界にとって願ってもない追い風を吹かせてはいるが、昨今法人設立したNPOの中には、行政主導のNPOや企業のリストラ対策として設立したものなど、素
直には賛成し難いものも出てきている。これらの中で特に行政主導で設立されたNPO法人は、一歩、あるいは0.1歩誤れば、結局は既存の行政お抱え外郭組織に成り下がってしまう。これらの傾向は今後強くなることも予想され、充分注視する必要があろう。 

BNPOの真の機能

 さて、このように追い風が吹いているとは言えNPOを取り巻く社会環境は必ずしも良好とは言えない。元々追い風に不適応な要素の強い組織である(?)NPOが(元来、既成の社会システムに対抗する意志を持った方々が多いNPO界なので、追い風が吹くと不適応となってしまいがちである)、今後如何に社会に認知されるかは今後のNPO自身の活動如何に関わっている。そうした観点から、一度は問いなおす必要があるのは、NPO全体のミッションではないだろうか。 
 一般に、どのようなジャンルに関わっていようとも、NPOの最終的ミッションは、『市民社会の実現』と言われている。特に、インターミディアリー組織が掲げるミッションには、判を押したように『市民社会』という文字が見うけられる。しかしながら、果たしてそれでいいのか。これに関してはエピローグとして後に詳述するとして、ここではこれに関連してNPOの真の機能とは何かを探ってみたい。 
 欧米のNPO論の中に必ず出てくるフレーズがある。曰く、NPOは民主主義の負の遺産を解消するものである、と。 
 残念ではあるが、我が国では民主主義が何であるか、未だ明確なる社会的コンセンサスがないのではないだろうか。そこには、擬似的民主主義思想である『戦後民主主義』が暗く大きな影を落としている。私の考えでは、民主主義、特に議会制民主主義とは、単にリーダー抽出形態の一つである。しかし、民主主義に対する大方の見解は、話し合いと多数決あたりがシステムとして民主主義の中核だというものではないだろうか。話し合いによる合議制だけを取れば、いわゆる民主主義体制以前よりあったし(帝国憲法の『万機公論に決すへし』等)、多数決は物事を決定するシステムとしては極めて古典的なのもであろう。 
 このような民主主義に対する無理解、さらには、日本国憲法前文に『・・・人類普遍の原理であり・・・』とまで書いて、民主主義を絶対視してしまったところに、民主主義そのものに対する批判精神は消滅してしまった。こうした風土の中で、「民主主義の負の遺産を解消する」というNPOの機能が果たしてどれほど理解されるのが、大きな疑義をはさまざるを得ない。 
 欧米で問題視されている民主主義の負の遺産とは、議会の機能劣化である。衆愚に陥り易い議会とそれを補完せざるを得ない官僚制の肥大化という問題が同時並行的に民主主義国家という統治システムに打撃を与えた。その中で打開策として登場したのが、『新しいリーダー抽出システム』としてのNPOなのではないだろうか。 
 私が掲げるNPOの機能は、上記2点に集約される。即ち、民主主義の負の遺産を解消すること(即ち、議会制民主主義の機能劣化を補完する機能)、もう一つは、新しいリーダー抽出システムとしての機能である。 
 現実を直視すればするほど、『市民社会の構築』などという、申し訳ないが、浮ついたミッションにNPO界全体が縛られている以上、本当の意味で問題解決能力を持ったNPOは誕生しないし、住民の多くが賛同する組織として成長することもないだろう。

7. 持続可能社会とNPO(エピローグとしての最終的結論) 

@NPOのミッション「市民社会の構築」は、果たして可能か?

 さて、前項で述べたように、私自身、「市民社会の構築」をNPOのミッションとは考えていない。もちろん、市民社会なるものを否定はしないし、そうなれば良いに越したことはない。しかし、私の想定している市民社会が、NPO界で論じられている市民社会であるかどうかは少々不明ではある。 
 私自身の根本的な思想として、オルテガが80年も前に述べている社会観がある。即ち、『社会とは、リーダーとメンバーの有機的結合体である』という思想である。社会を構成するには必ずリーダーが必要である。NPOという組織に不可欠なのは、ミッションを持ったリーダーである。そして、ミッションを持ったリーダー(場合によって
リーダー群でも良いが)と、そのミッションに賛同するメンバーが集まった組織がNPOである。さらに言えば、NPOのリーダーは誰からも選ばれていない。自らがリーダーとして名乗り出た者がリーダーとなる。これは明らかに議会制民主主義とは異なる抽出法によって輩出されたリーダーである。多数決(選挙)によって選ばれたリ
ーダーではなく、自らが名乗り出たリーダーと、ミッションに賛同したメンバーによって成り立っているのがNPOなのである。 
 もう一つ「市民社会の構築」をNPOのミッションに掲げることをためらう理由がある。それは、そもそもNPOの当然至極の機能として、問題解決機能があるからだ。すべてのNPOは何らかの問題を解決しようとしているので腑に落ちないとお考えの方もいるだろう。私の論じようとする問題とは、現在日本が抱えている問題であり、
しかも、緊急に解決しなければならない問題である。概略的に述べれば、現在の日本が抱える問題、しかも、最も緊急に解決しなければならない問題は次の3点に集約される。即ち、エネルギー危機、食料危機、経済危機の3点である。これら3つをまとめれば、社会が『持続不能』に陥る危機であると表現できる。 
 NPO活動が盛んな欧米は、実はこれらの危機、特にエネルギー危機と食料危機はそれなりに対策を打ってある。EU、アメリカとも食料自給率は100%を超え、エネルギーに関する対策も充分ではないにしろ様々な対策が講じられている。日本のNPO界は、欧米のNPO活動がこうした社会の根底を揺るがす類の問題を一応解決した後のNPO活動であることを十二分に認識する必要があろう。 
 このような観点から、「市民社会の構築」というNPO界共通のミッションが、なぜか浮ついたものに思えてならないのである。あまりにも巨大な問題であるためかえって見えないのかもしれないが、先ずは目前に迫る大問題を解決した後に「市民社会の構築」に邁進するなら結構な話だが、目前の問題に目をつぶるようでは問題解決型組織とは言えない。そして、何にも増して重要なことは、多くの人々の賛同を受けない限り、社会的な運動にはならないということである。 
 滝壷に落ちようとしている船の上で、帆のデザインを云々するような愚行を犯してはならない。

A持続可能社会構築のツールとしてのNPO 

 1970年代ローマクラブにより人間社会の持続不能性が指摘されてより既に数10年が経過しているが、今日までその傾向は進むことあっても改善する兆しは見られない。今年ヨハネスバーグで開催された国際環境会議において、NGOは『リオ−(マイナス)10』という標語を打ち出している。リオから10年が経過したが、この10年で人間社会の持続不能性はさらにエスカレートしてしまったというメッセージである。 
 とはいえ、ヨーロッパ、特に北欧やドイツにおいては、この10年で目覚しい環境対策が講じられてきた。従って、世界中が均等に後退した訳ではなく、進歩した地域も存在したわけだ。巷での論議(これは以外と当っている)によれば、米中ロの3つの大国が環境問題に関する限り最大のガンになるとの憶測がある。アメリカは京都議定書を無視し、中国の経済的発展は巨大な環境負荷を生み出している。恐らくは『大国』というシステム自体がサスティナビリティーを阻害する要因なのだろう。 
 既にヨーロッパでは、EUという緩い統合はあるものの、同時に地域化が進んでおり、ローカルアジェンダの内容も進化しているようだ。思想的には、生態系の中に人間を位置することが当たり前と考えられ始めているという話も聞く。 
 さて、もし人間を生態系の一部として捉え、しかも生態系の保持こそが持続可能性の根本だとするなら、人間社会のコミュニティー規模はどの程度が適正なのだろうか。 
 このような研究は今始まったばかりではあるが、直感的に考えて、そんなに広い範囲とは想像できない。そのような視点でかなり高度なサスティナビリティーを具現化していた江戸時代におけるコミュニティーを研究してみることは大いに価値があることだ。 
 江戸時代の社会の最大の特徴は、小地域においてほぼ完全な自給体制があったことだ。水田を中心とし、周辺の里山、そして流域下部の海の民とも微妙な連携を取っていた生産システムは、生態系そのものであった。上部の里山、そして中山間の田畑、さらに下流域の水田地帯、そして河口付近の漁村に至るまでが有機的に結合し、巨大な生態系を構成していた。地域地域に住む住民の生活は、基本的には自給であり、広域間での経済交流は必要最小限であっただろう。住民一人一人の抱える、感覚としての生態系はさほど広いものではなかったに違いない。 
 このような生活に戻る積もりもないし戻れるとも思わない。しかしながら、サスティナブルな社会構築を考えるとき、生態系の維持が生活の維持そのものであった江戸の生活様式は我々日本人にとっては大いに参考になる。江戸時代と現代では、人口が大幅に違い、しかも国土はかなりのレベルで人工化(いわゆる自然破壊)が進んでいるため、江戸の生活にそのまま戻ることは不可能であろう。しかし、江戸時代と比べれば農業における生産性はかなり上がっているし、100%を目指さなければ、食料にしろ、エネルギーにしろかなりの部分を自給できるはずである。食とエネルギーの自給は、独立国としての重要条件であり、最大の国防策でもある。 
 食、エネルギーの自給に関しては本論の趣旨とは少々逸脱するのでこれ以上は言及しないが、サスティナブルな社会を実現する上での重要なキーワードが『地産地消』であることだけは強調しておきたい。これは、生態系の保持、そして、エネルギー効率等から科学的に導かれる結論といって良い。ここからは、このサスティナブルな社
会構築にNPOがどのような意味を持つかを考えてみたい。 
 もし、小地域におけるコンパクトな地産地消体制がサスティナブルな社会構築の鍵だとするなら、小地域における問題の解決は小地域内で行える体制が必要となろう。出来る限り外部に依存しない体制は、補完性の原則そのものであり、行政負担を極小に導くシステムでもある。そして、この理論に従うと、都市部が都市部単体では持続不能であるという結論も導出される。食、エネルギーといった基本的要素に対する生産財を持たない都市部は、周辺の田畑、河川等を巻き込まない限り持続不能である。都市部だけで完結した生態系は構築できない。 
 さて、このような社会体制を構築する上では、ある適切なレベルで、あらゆるジャンルの地産地消が必要となる。 
 一般に考えられている地産地消とは、主に農産物を指す場合が多いが、既に述べたように、税の地産地消も重要なファクターである。地産地消が適応されるファクターは、これら食と税だけではなく、エネルギー、そして、マンパワーすらも適応される必要がある。そして、この中で特に重要なのが、マンパワーの地産地消である。 
 郡部の属性の中でこれまで述べてこなかった重要なファクターがある。それは、マンパワーに関する属性である。第1のセクターである行政にしかマンパワーを期待出来ないということは論じたが、郡部で生産したマンパワーが都市部に吸い取られている状況こそが、郡部のマンパワーの実態である。ご承知のように、優秀な人材はどんどん都会に流出している。 
 数年前になるが、『我々は人材を育成して都会に送りこんでいるので、郡部がどれだけ補助金をもらっても当然である』とテレビで発言した郡部の方がいらっしゃった。このような論理が都会人に通用するとは思えないし、少々悲しい発言でもある。しかし、これが現実であり、マンパワーの流出を防がない限り、郡部の自立は有り得ない。 
 恵那市の場合、地域の風土に立脚した確固たる地場産業はなく、他の多くの中山間自治体と同様、際立った特徴のないところが特徴といえる都市である。名古屋の中心部まで1時間足らずで充分通勤圏であるため、地元企業だけでなく名古屋周辺で働く人も少なくない。このような人々を例に取ると、彼らのマンパワーは『地産外消』と言える。当然税の一部は市に入るわけで、その分だけは地産地消と言えるが、彼らのマンパワーの大部分は大都市(名古屋周辺)の企業等で消費されるわけである。 
 悲しいかな、郡部には優秀な人材のパワーを吸収できる場が少なく、優秀な人材が流出してしまうことは現状では避けられない。 
 しかしながら、地方が地方の意志で自治を行う体制が出来れば、より具体的には、市町村合併で生まれる新たな自治体が多くの権限を持ち、名実ともに自治の中心になれれば、人材の流出はかなり防げるのではないだろうか。 
 これら、全ての面での地産地消が達成された暁には、地域の問題の大部分が地域内で解決可能となる。そして、社会の多くの問題を解決するセクターとして、地域のNPOは重要な要素となるのである。 
 NPOは、サスティナブルな社会を構築する上で、重要なツールであり、この方向性こそが今後のNPO全体に求められている要素なのではないだろうか。